武術
武術
1974年、札幌第一高校屋上にて単飛腿の練習
武術、武術、武術!
空手道(和道流、剛柔流、士道館)、少林寺拳法、中国武術(太極拳、形意拳、少林長拳、棍術、暗器術ほか)、合気武術(柔術、鎗、棒、短棒、太刀、小太刀ほか)を学びました。
物心ついた頃から、武術への関心がとても強く、小学校に入ると空手着をまとい、修練に励むようになっていました。毎朝のジョギング、木刀の振り100本、正拳、掌打、裏拳、肘打ち、前蹴り、横蹴り、後ろ蹴り、回し蹴り、膝蹴り各100本は大学院卒業まで欠かさない生活が続きました。
少林寺拳法北海道院(高校時代)
16歳のときより高校卒業まで、生家の近くにあった金剛禅総本山少林寺拳法北海道院に通い始めました。道院長(四国出身)は、宗道臣祖師の直弟子の方でした。鎮魂行(座禅)など宗教活動も並列して行う厳粛さもありましたが、道院長ご自身は人間的に明るく剽軽な方でした。
道院には米国海兵隊の軍人もたくさん練習に来ていました。柔軟で敏捷な体を持った黒人兵士とのスパーリングが刺激的でした。本格的ボクシングやタイ駐留で覚えたムエタイの経験のある彼らとの練習試合で得られるものは実に多かった。東南アジアに出征していく前日まで、拳を交えた彼らのことは忘れられない思い出です。
一方、札幌第一高校では拳法部を設立し、初代部長を務めました。拳法部では、少林寺拳法にこだわらず広く空手道、合気武術、中国拳術、レスリングの人たちと交流し、スパーリング(散打、乱取り)を中心とした総合格闘技の夢を追いかけました。
中国武術と空手に合気(学部&院生時代)

大学生になると、中国武術に熱中することが多くなりました。数人の社会人武術愛好家とともに発起人となって「北海道太極拳友会」を設立し、札幌テレビ塔近くの生協会館や札幌市役所の会議室を借りて太極挙、少林長拳を中心に練習しました。この会は日中友好協会の支援を受けていて、太極挙、少林長拳の他にも形意拳や各種武器術の教師を中国本土から招いては、研究会や講習会を開催していました。

20代前半に興味を覚えて、中国拳術の次によく練習したのは合気武術。太極挙やヨガの教師に八光流や大東流の経験者が多く、最初は一つ二つ技を習っているうちにのめり込み、体系的に勉強しました。学校の休暇を利用しては、北海道内各地の道場を回って練習に参加させていただきました。当時、網走市には大東流の先代宗家がまだ御在命中であり、その技に息を飲んだことを覚えています。
士道館空手は、梶原一騎館長にひかれて入門し、25才前後の一時期に熱中しました。極真会館系フルコン空手のなんたるかを知るのによい機会を得たと思っています。余談ですが、故・梶原一騎氏(空手)、某毒ガス教団の尊師被告人(柔道)、山下泰裕氏(柔道)という熊本県出身の3人の容姿や性格が似ていると思うのは私だけでしょうか?ちなみに私の父方ルーツもその近くなのですが。
12年間の武術生活を振り返って
20代後半までは、飛腿、二起脚、旋風脚、掃腿が得意でした。高低自在な後ろ回し蹴りはよく練習しました。サイドステップを工夫し一気に低く跳んで間合いを瞬時に詰め、対戦者の胸や顎を下から足刀で蹴り上げる虎尾脚については、ずいぶん長期間研究しました。
加えて、体捌きや体術を使っての奪器術。リアルな武器を相手に素手で戦うという、ほとんど軽業、大道芸人の修行の世界でした。対刀槍格闘術(奪器術)ではフェンシング、特にエペのシンプルな剣先をさばくのが一番難しく面白かった。あと、秒速100m程度の低速弾相手ですが、単発式ガス銃から射出されたペイント弾(樹木に印を付けるためのペンキ入り軟プラスチック弾)を、かわせた時には感動したものです。
20才代後半、上京してから大宮市で結婚生活に入るまでは都内各地の公民館や朝の公園で行われている立禅や各派中国拳術の練習会に参加していました。またBBSで知り合った武術ファンの人たちと、拳を交えては技術交換をしていました。
ぼくの人生で16才から28才までが、もっとも"BODY & SPIRIT"世界に浸った期間です。男女の営みさえ全く知らないままに12年間(^_^)、私は福音書を読むか、蓮華座を組んで瞑想するか、スライドステップを踏んでサイドキックを撃つことに励んでいたわけです。まあ、バイクでの放浪、詩の同人誌作り、映画の自主制作、障害者施設でのボランティアなどの活動にも燃えていたのですが。忙しかった、あの頃(しみじみ)。
いま振り返ると、中学生の頃から武術に熱中していたわりに、学校での部活動やサークル活動としてはあまり関わってないことが不思議です。高校での「拳法部」も、流派にこだわらないフリースタイル格闘技の学内団体であり、私が創設者でした。ローティーンの頃から、文学や武術のサークルにはずいぶんたくさん所属していましたが、みんな社会人の団体でした。子どもの頃から、自尊心の強烈な独立独歩な奴だった気がします。孤立無援の人生が不安ではなかったのでしょう。
漫画「あしたのジョー」が大好きで、原作者の主催する士道館に入門したくらいですから、恋人の一人もいない青春のままに真っ白に燃え尽きて死にたかったのかも知れないです。そんなふうに、人格的にかなり破綻してるあたりがしっかり武術青年してたな、と思います。
10才時に作った改造拳銃
10才の頃、私は手製の拳銃作りに熱中していた。今ふりかえると、暗い情熱、思春期の始まりだった。親友の坂口達也君と二人で、父親の拳銃射撃練習を見に行ったのがきっかけだった。野外射撃場で、父の脇から見る実弾射撃。そこで少年二人は拳銃弾が目視できること、それが蛇行して飛んで行くことを初めて知った。ずっしりと重そうなブローニングやコルトの大型自動拳銃は、ぼくたちにとって大人の世界の象徴でした。
札幌のデパートにあった輸入物アンティーク店。ジャンク品キャリーに積まれた玩具の中に、それはあった。小型で銅製の単発式拳銃の玩具。スペイン製のそれは、紙火薬で銃口から火の出るものだった。銃口の中には装弾と発射ができなくなるように小さな突起が付けられていた。「こんなデッパリくらい簡単に削れる」ぼくはひらめいた。早速、万力と小さなドリル、それに何種類かの棒やすりを買ったぼくは、この16世紀風オモチャ拳銃の改造に一人かくれて熱中した。
花火をバラして得た黒色火薬だけでは足りなかった。撃発に必要な、不安定で危険な雷コウ(銀色火薬)は自分で調剤して作った。昆虫採集セットのスチロール瓶をメタノールで溶かし、雷コウ粉末と練り合わせて作った火薬ボールは投げつけることで激しく爆発し、近所の捨てられた牧場のレンガ壁にいくつもの窪みを作った。こうした爆発テストの後、撃鉄でファイアさせるために、十分に敏感で同時に安定している着火薬が手に入った。
ある暑い夏の日、完成した改造拳銃を持って、私は休みの学校に忍び込んだ。バーンッ!という大きな音と、閃光と、たくさんの煙を発して、プラスチックのつづみ弾は黒板目指して大きく螺旋を描きながら飛んで行く。ダンッ!と着弾した黒板には、数mmの弾痕。つづみ弾は、後ろのスカートが焼けちぎれ弾頭がつぶれ、緑色の黒板塗装の破片と一緒に黒板の下に落ちていた。「やったっ!」そして「逃げよう!」。ぼくは飛ぶように走りながら、興奮と喜びの余韻に笑い続けた。
改造にはその夏の間ずっと熱中した。プラスチックのつづみ弾は弾頭に鉛を仕込まれ、10m先の厚い松板やスチール缶を撃ち抜けるようになった。何丁もの試作改造拳銃と弾丸が手元に転がっていたあの頃。
しかし、学校に忍び込むことはそれから二度となかった。次の夏、私は、恋の詩をうたうことや水辺の景色を水彩で描くことに夢中になっていた。そして、純白の空手着を身にまとって、体の鍛錬を開始していた。
私は、武術で拳脚を鍛え、いくつもの打撃技を身につけた。拳や蹴りを自在に撃てるようになった。その力は、あの小っぽけな改造拳銃をはるかに超えた。でも私は何を撃ちたいのだろう?何を撃ちたかったのだろう?あの少年の日に引き金を引いた時のときめきは何処へ行ったのだろう?雪が積もり始めた頃、小学校の帰り道、森の泉に捨てた銅製改造拳銃は、もう腐食して泥になり果てただろうか?
日本武術は苦手
少林寺拳法の柔法(投げ技、関節技)や合気柔術は、その技術内容は興味深く面白かったのですが、他人と肉体的につかみ合うというのが生理的に大の苦手で、乱取りとかは逃げてました。ただ、力の流れを理解したり、崩しのタイミングを習得するのにとても有効だったと思っています。
約30年前頃、大相撲の長谷川関(現・長谷川親方)の御尊父が、私の生家の二軒隣に引っ越してきました。この長谷川関の御尊父は、見事な蹴りが自慢の空手家で、小学生の私はこの方から毎日空手を習ったものです。
私の父親は柔道と銃剣術の選手でした。柔道は、幼時より手ほどきを受けたのですが、今日に至るまで好きになれないでいます。長谷川関の御尊父には喜んで師事したのですが、自分の父親の柔道については年齢が上がるにつれ、習いたいという気持ちが無くなりました。ただ、膝車で連続して投げられたり、寝技で何度も絞め落とされた感覚は今でも鮮明に残っており、柔道に対する畏怖の念の元となっています。
どうもスポーツ化された武術にある「武道」のニュアンスがダメですね。柔道、合気道、空手道の創始者たちの提唱するスタイルとなじめないのかも知れません。それより彼らが身に着けていた起倒流、諸賞流、大東流、琉球手といったものの方に興味とリアリティを感じて惹かれます。
あとは、よくわからない精神主義が困る。「南無八幡大菩薩」とか唱えて武道の神さま「鹿島大明神」に礼拝してから練習を始めろ、とか言われるとゴメンナサイしてしまいます。
あと、空手や合気の道着(白くて薄手)はいいのですが、それより厚手の柔道とかで使う「刺し子」の道着の色合いや臭いは鳥肌が立つほど嫌いで、グレイシー柔術やサンボを含めて「敬して遠ざくべし」の姿勢を保っています。
太極拳が合っている
太極拳と一番相性がいいようです。けっこう長い時期熱中した陳家太極拳だけでなく、スポーツ化された楊家太極拳でも、健康体操化された簡化太極拳24式でもOKです。ゆっくりと、長く力の流れを練っていき、ある瞬間からタタタタタタと打撃を連続爆発させ、またゆっくり力を練る、そんな緩急自在なところがいいですね。最近は、簡化太極拳で体を温めた後で拳での短打や肘打の鍛錬を中心にしています。
せっかく渋谷区内に住んでるのですから、八極拳や八卦掌も近くの教室でじっくりと学んでみたいのですが、時間がなかなか作れないでいます。機会があれば、自分でも武術教室を開いて、また多くの人に武術の楽しさを教えたいと思っています。武術の鍛錬は、ダンスの練習と同じように人間を心地よくする何かを持っています。

現在は、空手道を核とした総合武道である風間健氏の武心道道場に、時たまお邪魔しています。いつか、義和団前後の中国を舞台にした幻想的な活劇を創りたいとも思う今日この頃です。

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2004年2月2日